戦後沖縄/戦後沖縄キーワード 4/4

●CTS設置
産業振興と雇用拡大を目的としたCTS(石油備蓄基地)が誘致されましたが、雇用効果は予想以上に少なく、逆に原油流出事故による環境汚染が問題となり、大衆運動の激しい非難をあびることになりました。

●西銘順治(にしめじゅんじ)
1978年に誕生した西銘知事による保守県政は、1990年まで続きます。西銘知事の特徴は、基地政策を後退させ、かわりに地域開発と国際交流を前面に打ち出した点にありました。西銘県政のもとで沖縄経済は着実に成長しましたが、経済構造はあいかわらずの財政依存型で、産業構造も極端に第三次産業にかたよっており、地域の特性を生かした自立経済の発展にはいたりませんでした。 

●平和の礎(へいわのいしじ)
沖縄戦終結50周年を記念した事業の一つとして、1995年6月23日に糸満市の平和記念公園内に建立されました。その記念碑には、軍人、民間人、国籍の区別なく、沖縄戦で亡くなったすべての人びとの氏名が刻まれています。

●少女暴行事件
1995年9月、米兵3人による少女暴行事件が発生しました。容疑者の身柄引き渡しを求める県警に対して米軍は、日米地位協定をたてにこれを拒否しました。外務省も身柄引き渡しに否定的で、地位協定の見直しを求める沖縄県や沖縄県議会の要請に対しても政府や外務省は見直しを拒否しました。これをきっかけに、長くくすぶり続けていた基地問題に火がつき、同年10月の県民総決起大会へと発展します。

●代理署名裁判
軍用地地主との賃貸契約が切れ、軍用地としての再契約を拒否する反戦地主の土地を強制使用するためには、様々な手続きをへて所在地の市長村長が代理署名しますが、それも拒否されると県知事が代理署名することになります。しかし大田知事は代理署名を拒否、総理大臣は県知事に職務執行を命じる訴訟をおこしました。審議は最高裁判所までもちこされ、判決は県側の敗訴となりました。

●県民投票
「米軍基地の整理縮小と日米地位協定の見直しを求める」目的で実施された、国内初の県民投票です。注目された投票率は59.3%と期待の6割にはいたりませんでしたが、圧倒的多数が基地縮小と地位協定の見直しを求める票を投じました。

●SACO(サコ)
沖縄における施設および区域に関する日米特別行動委員会。在沖米軍基地の整理・縮小問題を協議するため、1995年11月、1年間の期限つきで日米安全保障協議委員会の下に設置されました。

●沖縄県民総決起大会
1995年10月21日に開かれた、「米軍人による少女暴行事件を糾弾し日米地位協定の見直しを要求する沖縄県民総決起大会」。8万5000人以上の沖縄県民が参加するという、復帰後最大規模の集会になりました。


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