戦後沖縄/敗戦と米軍占領 4/4

■米軍占領下の住民生活

 1945(昭和20)年の10月ごろから、人々は収容所からもとの居住地への移動を許可されるようになりました。しかし故郷の集落に戻ってみると、膨大な軍需物資が積み上げられていたり、軍用地として取り上げられたりしていて、行き場がなくなってしまった人々も発生しました。
 やがて戦前の区画をもとにした市町村組織が復活していきますが、それは文字どおりゼロからのスタートでした。食糧難に苦しむ住民たちの間では、「戦果(せんか)」として米軍の物資を盗み出し、米兵に銃撃される者も少なくありませんでした。
 戦後の沖縄には1946年半ばまで通貨がなく、物と物を交換するバーター制が中心でした。その後数回の通貨交換をへて、日本円の流入によるインフレ防止のため、米軍政府発行のB型軍票(B円)を通貨とするB円経済圏が確立し、経済活動も開始されるようになりました。
 しかし物価や賃金が統制され、取り引きも自由におこなえなかったため、闇取り引きや密貿易が横行するようになりました。このような不自由な生活の中でも、人々は空き缶でつくったカンカラ三線(サンシン)を弾いて歌い踊り、村の神々に祈り、沖縄再生へと立ちあがっていきました。


ヤミ市場


B型軍票



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