近世琉球/島津氏の琉球支配 6/6

■昆布と沖縄

 17世紀後半に、河村瑞賢(かわむらずいけん・1617〜1699)によって西廻り・東廻り航路が開発されると、蝦夷地(北海道)の海産物が、江戸・大坂に大量に運ばれるようになりました。
 18世紀末には、北前船によって蝦夷地から日本海を通って大坂に運ばれた昆布を、薩摩商人が砂糖とかえ、さらにその昆布を琉球の進貢貿易を利用して中国に輸出するようになりました。中国からはそれとひきかえに、生糸・反物・漢方薬の材料などを買い入れています。
 1820年代以降になると、琉球から中国への積荷の70〜90%を昆布が占めるようになりました。これは日本で生産された総量の約10%にあたるものです。19世紀の半ばには那覇に「昆布座」が設置されます。「琉球処分」によって進貢貿易が終わるまで、琉球にとっても昆布は重要な輸出品となりました。
 また、昆布は単に輸出品としてだけではなく、食生活にも大きな影響をあたえ、豚肉とともに琉球料理には欠かせない食品となりました。現在でもその消費量は全国一といわれ、長寿県沖縄を支える食品の一つにあげられています。



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