■羽地朝秀の改革
1609年の島津侵入以降、琉球は半世紀をへてもなお混乱状態で、人々は気力を失っていました。このような混乱期に、大胆な政治改革をうちだして王国を立て直し、古流球から近世琉球へと社会的変換をはかったのが、羽地朝秀(はねじちょうしゅう)でした。 中国名を向象賢(しょうじょうけん)という彼は、1666年に摂政(国王を補佐し国務をつかさどる大臣)に就任すると次のような改革に乗り出しました。
これらのさまざまな令達を一つにまとめたものが、『羽地仕置(はねじしおき)』とよばれるものです。