近世琉球/琉球王国の再建 1/10

■羽地朝秀の改革

 1609年の島津侵入以降、琉球は半世紀をへてもなお混乱状態で、人々は気力を失っていました。このような混乱期に、大胆な政治改革をうちだして王国を立て直し、古流球から近世琉球へと社会的変換をはかったのが、羽地朝秀(はねじちょうしゅう)でした。
 中国名を向象賢(しょうじょうけん)という彼は、1666年に摂政(国王を補佐し国務をつかさどる大臣)に就任すると次のような改革に乗り出しました。

 第一、 王家をはじめ庶民にいたるまで贅沢を禁じ、倹約を奨励する
 第二、 遊女あそびを厳禁し、風紀の粛正をおこなう
 第三、 神女や女官の政治的影響力を排除し、伝統的な宗教上の慣例を改める
 第四、 役人の不正を取り締まり、疲弊した農村の復興をはかるため農民にも開墾を奨励する
 第五、 士(サムレー)階層に諸芸を学ばせ、薩摩と交渉するには教養が必要であることを説く

これらのさまざまな令達を一つにまとめたものが、『羽地仕置(はねじしおき)』とよばれるものです。


斎場御嶽


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