古琉球/統一王朝の成立 12/12

■護佐丸・阿麻和利の乱

 第一尚氏は三山統一を実現したものの、政情は不安定でした。そんな中でおこったのがいわゆる「護佐丸(ごさまる)・阿麻和利(あまわり)の乱」でした。
 尚巴志(しょうはし)による北山攻略のさいに戦功を上げた護佐丸は、尚泰久(しょうたいきゅう)王のころには沖縄本島中部地域の支配者として君臨していました。
 そのころ勝連半島では、阿麻和利が勢力をほこっていました。尚泰久は政略結婚で娘の百度踏揚(ももとふみあがり)を阿麻和利に嫁がせましたが、阿麻和利の野心はとどまることを知りません。中城按司(ナカグスクアジ)の護佐丸が国王に反逆を企てているとして尚泰久の許しを得て護佐丸を討ち、さらに尚泰久をも攻略しようと企てました。しかし、妃である百度踏揚と家臣の鬼大城(おにオオグスク)に見破られ、阿麻和利は勝連城とともに滅亡します。
 これが正史に記されている大筋ですが、ほかにもいろいろな説があり、真相は不明です。


勝連城跡


中城城跡



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