古琉球/琉球王国の確立 5/5

■オヤケ赤蜂の乱

 15世紀末の先島(さきしま・宮古および八重山諸島)は、先に統一をとげて尚円(しょうえん)王の配下にあった宮古の仲宗根豊見親(なかそねトゥイミヤー)勢力と、まだ統一をみない八重山の各按司(アジ)とのあいだに、激しい対立関係が存在しました。
 その八重山では、特に有力なオヤケ赤蜂(あかはち)と長田大主(ナータウフシュ)が、覇を競い合っていました。王府に従属的だった長田大主は、仲宗根豊見親と結束して八重山を統一しようとしますが、オヤケ赤蜂は王府から独立した八重山統一政権をうち立てようと、反乱を起こします。この「オヤケ赤蜂の乱」を、琉球王府の正史『球陽(きゅうよう)』では次のように記述しています。

 八重山大浜地域の遠弥計赤蜂保武川良(おやけあかはちほんがわら)という人物が、王府に対して貢物も出さず謀反をくわだて、八重山および宮古にいたるまで支配下におさめようとの野心を抱いていた。王府は遠征軍を派遣して、宮古の仲宗根豊見親と多良間の土原おそろ(ンタバルオゾル)とともに石垣島へ向かった。ところが、すでに戦闘態勢を整えていた赤蜂軍の防備にあい、王府軍はなかなか島へ上陸できなかった。それに対し、同行していた久米島の神女・君南風(チンペー)の奇策により上陸をなした王府軍は、一挙に赤蜂軍を鎮圧し、八重山におけるオヤケ赤蜂の野望をうち砕いた。

 こののち、戦乱の恩賞として仲宗根豊見親には宮古の頭職(かしらしょく)が、その次男の真刈金豊見親(マチリガニトゥイミヤー)には八重山の頭職が王府よりそれぞれあたえられました。頭職とは、王府にかわって先島を統治する筆頭者のことで、このときにはじめて配置されました。
 こうして、琉球王府による先島掌握は一段と強化され、さらにその後の「鬼虎(おにとら)の乱」の与那国(よなぐに)制圧によって、先島全域が王府の支配下に組み込まれることになりました。



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