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 そんな時、校長が生徒の前で「みなさんは標じゅん語さえまともに話せないのに、英語まで勉強しなければならず気の毒だ」と語り、英語のじゅ業をなくそうとする事件が起こった。そして、自分の意見に反対する教頭や、国語の先生をやめさせてしまった。

image 国語の田島先生は、沖縄を差別する他府県の先生たちの中にありながらも、沖縄の古い歌『おもろさうし』を研究し、普猷たちに「沖縄にはすばらしい文化がある」と教えていた人で、かれらに人気があった。その先生までもやめさせたことにおこった普猷たちは、ストライキを起こして校長をやめさせようとした。これには、これまでも「沖縄をばかにしている」と不満を持っていた人々も味方したため、沖縄にいづらくなった校長はとうとう沖縄をにげ出してしまった。しかし、ストライキを起こした普猷たちも、学校をやめさせられてしまう結果となった。

 それからの普猷は、上京して政治家(せいじか)を目ざした。ある日、中学時代の田島先生に会った彼は、沖縄の研究をつづけるようにとすすめられ、沖縄研究の資料をすべて先生からゆずり受けた。田島先生の沖縄への思いに感動した普猷は、政治家のゆめをすて、「沖縄を知るには、まず古い言葉がわからなければ」と東京大学に入学して言語学を学んだ。そして、卒業するとすぐに沖縄にもどり研究をはじめたのだった。
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