1950年に勃発した朝鮮戦争による日本の特需景気で、沖縄戦の『鉄の暴風』の残がいがスクラップとして、1953年から日本本土に輸出された。1956年にピークとなるが、鉄くずが金になる時代で子供たちもスクラップ拾いに駆り出された。元手の掛からない金儲けであったが、不発弾の爆発で多くの死傷者もでた。 1954年には砂糖に次ぐ第2位の輸出品となり、輸出総額の約20%を占めた。56年には砂糖の約2倍の56%を占めて第1位の輸出品で、月およそ180万ドルも輸出された。