玉城村百名の海岸近くにある二口の井泉。西側に「ゆるやかに流れる受け溝」の意の受水、東側に「走り溝の意」がある走水がある。 受水の下流に「御穂田(ミフ−ダ)」、走水の下流に「親田(ウェーダ)」とよばれる小さな田んぼがある。『中山世鑑』(1650年)によれば、ここが沖縄の稲の発祥地とされていて、琉球創始の神アマミキョが、天帝にもらった稲の種子を初めて植えた場所とされる。 『琉球国由来記』(1713年)によれば、かつては4月の稲のミシキョマ(初穂を神に捧げる儀礼)にさいし、国王はこの地で御水撫で(ウビナディ)を受け、稲穂と米の餅を献上したという。 また、発祥を伝える有名な伝承として、次のようなものがある。 昔、一羽の鶴が稲穂をくわえて南から飛んで来たが、鶴は、百名海岸のカラオカハという所に落ちて死に、くわえていた稲穂が水田に落ちて発芽した。これを見た、琉球創造の神アマミキヨは喜んで受水走水に移植して稲を伝播した。この移植された地が御穂田であり、ここから稲作が各地に広まったというものである。 御穂田を「三穂田」とする説もある。それは、稲穂が三本生えた田に由来するというもの、あるいは、カラオカハと受水の下流、走水下流の三つをまとめて三穂田という説である。 いずれにしても、この井泉は稲の発祥地、霊泉として名高く、信仰の対象となっている。 17.嘉手志川(カデシガー) |