識名園
「識名園」は、寛政12年(1800年)の尚温王の頃に造園された琉球随一の庭園であるが、 正式な創設年代は不明である。「崎山御殿(さきやまうどぅん)」(東苑)に対し、南苑といわれ、両者とも国王の別邸であり、中国の冊封使等を歓待するために作られたといわれている。地番と山林をあわせると、約12、208坪という広大な敷地であるが、先の沖縄戦で、わずかな遺構を残し多くは破壊された。庭園の構成は、室町時代の心字方式が取り入れられており、表門から蛇行するゆるやかな石畳道を下りると、育徳泉前に出る。園内の池には、二つの中島があり、島と陸は南中国あたりの駝背橋をかけて結び、築山、六角堂、 石灯籠、石塔などが池を囲んでいる。 08.手水川(てみぃじガ−) |