龍樋は、首里城内にある、瑞泉門(ずいせんもん)の左下方に湧出する泉である。1523(尚真47)年、沢岻盛里が慶賀史として中国へ渡ったさい、龍頭(りゅうず)を持ち帰って取り付けたとされる。石彫の龍頭の口から水が出るのでこの名がある。 中国から冊封使(さっぽうし=中国皇帝から琉球王即位のため送られる使節団)が来琉した際、400 〜 500人が数ヵ月滞在す間の飲料水の確保は、王府にとって頭の痛い問題となっていた。冊封使が滞在する「天使館」があった当時の那覇は、島になっていたためその水は塩分が高く、飲料には適していなかったのである。 そこで、首里城内に湧き出るこの湧水「瑞泉」を、使節団の宿舎に毎日運ぶようになった、とつたえられている。この水に感謝した中国側は、交流を後世に伝える証として、1719(尚敬7)年以来、歴代国王 7代の期間、 7基の石碑(龍樋の碑)を建てた。 04.宝口樋川(たからぐちヒ−ジャ−) |