タイトル画像:水利用の軌跡
イメージ画像
項目タイトル画像:近代の水事情
サムネイル画像:那覇市曙のカー

 1883年〜1884(明治16〜17)年頃、沖縄で初めて簡易水道が敷説された。第一号の水道は、那覇市の山下町にあった落平(ウティンダ)の湧水を利用したもので、地方や他県から訪れる人々のために設置されたといわれている。湧水の水を土管や松材の管を利用して送水し、貯水池を経由した4個の水口から一般に無料で給水していたが、水口が需要に足りず、さらに松材の木管から松脂が溶けて臭気が出たため、やがて廃止されたという。
 近年まで、ほとんどの家は天水と屋敷内の私有井戸を飲料水として使用していた。各家庭には必ず水瓶が 5〜 6個は常備され、比較的裕福な家庭では水タンクを設けていた。しかし干ばつが続き天水が欠乏したときは、人々は共同の井泉に水を求めて殺到した。
 1897(明治30)年には那覇市で水道事業の創設が決議されたが、水源地問題に阻まれて実現しなかった。その後も、何度か水道問題が市政の重要な課題としてあがったが、第一次世界大戦の勃発など、諸々の事情により施行には困難が続いたようである。
 沖縄における近代水道の歴史は、1933(昭和8)年 9月に那覇市の泊浄水道が完成し、各家庭に給水を開始したのが始まりとされている。
 その後、各地に簡易水道の形で広まっていくが、現在のような上水道の基盤ができたのは、戦後になってからである。沖縄戦で大多数の設備が壊滅し、人々は、昔のように天水や井戸水に頼らざるを得なくなったからである。

03.近代の水事情2

メニューへ戻る ページ1へ ページ2へ ページ3へ ページ4へ ウインドウを閉じる