ゴムカン

 パチンコのことである。空気銃へ手の届かないおおかたの子どもたちは、ゴムカンでクラーグヮ−(雀)をねらった。ゴムカンは、おもちゃ屋でも売ってはいたが、子どもたちは自分で作ったものを愛用していた。まず、ゴムカンの台ともいうべきY字型の木の枝を見つけなければならない。木は強靱さ、太さから、ゲッキツ(月橘、方言でギキチャー)が最上といわれていた。また、ゴムは輪ゴムでなく、伸張力、強度がすぐれているという理由から、タイヤのチューブが使われていた。また、台木との接合部分や弾を据える部分には、強度のために革をつかった。
 子どもたちは手製のゴムカンで、電線に留まっている雀をねらった。なにしろ、電線そのものに命中させるほどの子どもがいくらでもいた。雀には気の毒だったが、ゴムカンは少年期の追憶の玩具として忘れられないものである。

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ゲッチョウ

 ゲッチョウとよぶところもある。『沖縄文化史辞典』にはギッチョウとある。
 遊び道具である。まず、丸い用材を斜めにけずって駒(図1)を作り、地面に置く。つぎに丸い手棒(図2)でそれをたたいて、いったん空中へはね上げてから、手棒で飛ばすのだが、はね上げた駒を2回、3回、手棒で空中であしらい、より遠くへ飛ばす。この回数を1木(ぎ)、2木といい、点数が2倍、3倍になる。
 点数は、駒が飛んだところまでの距離を手棒の長さではかる。そして、1木の場合は普通の点の2倍、2木の場合は3倍と増加されるが、この倍率は、その時の話し合いで決められることが多い。
 ギッチョウはおもちゃ屋では売っていないので、自分で作らなければならない。だから、子どもたちは手頃な材料捜しに懸命になった。

image ●材料は木材。適当な木の枝などを選んで、自分たちで作った。
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*「駒」「手棒」という呼称はなかった。ここでは便宜上使った。


船越義彰(ふなこし・ぎしょう)
1925年那覇市出身。1976年『慰安所の少女』、1982年『きじむなあ物語』(第5回山之口貘賞受賞)ほか詩・小説・エッセーなど著作多数。1981年、第16回沖縄タイムス芸術選賞文学大賞受賞

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