昔わらばあの嘆き

 子どもは遊びの天才と言うけれど、その通りだと思う。身の回りのモノを利用して、何でも遊びの道具にした。木、竹、石、草の葉……。変哲もないそれらのモノは、たちどころに生命を吹き込まれて遊び道具に変身した。木はギッチョーに、竹は竹馬や竹とんぼに、石は石ナーグーに、草の葉は草笛や風車に、というふうに。モノがなければないで、道具のいらない遊びを考案した。Sケン、陣取り、馬乗り、ギッタームンドー、指相撲等々。
 遊び道具をつくる手先の器用だったこと。長じて振り返ると、あの工夫の才は、いったいどこへ行ってしまったのかと長嘆息しないでいられない。すっかり能無しになったてのひらを反転させつつ、出るのは溜息ばかりである。
 人それぞれに得手不得手はあっても、「専門バカ」はいなかった。ひと通りの遊びは何でもやった。また、できた。できなければ、できるまで特訓した。子どもなりに、「恥」を知っていたような気がする。時には女の子の遊びに入って、マイウーチー(まりつき)やなわ跳び、お手玉などもやった。およそつまらない遊びというものがなかった。
 子どもたちに、もっとも遠いのが孤独と退屈だった。気がついたらあたりは暗くなっていて、遊びなかばで家に帰らなければならない理不尽さを呪った。
 いま、ファミコンやゲームセンターでピコピコやっている子どもたちを見ながら、滑稽なような、あわれなような、なんともいえない感慨にとらわれる。遊びも流行歌と一緒で、世につれることは承知しつつも、向き合う相手が友だちでなく、物言わぬ機械とはこれいかに。興じている当人たちが、「マン・ツー・マシン」を当然のことと思っているだけに、こういう時代の到来を夢想だにしなかった昔わらばあ(童)は、異星人の子を眺める心境である。


中村喬次(なかむら きょうじ)
1939年奄美大島生まれ。1984年『南島遡行』、1992年『スク鳴り』(第22回九州芸術祭文学賞受賞)など、エッセー・小説を発表。

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