平和通りは、那覇市の開南から国際通りに通じる商店街・市場通り。1948(昭和23)年、公募により「平和通り」と名付けられ、現在も市民の台所として親しまれている。
戦前はガーブ川の底湿地帯を抜ける畑中道の一部で、住宅地には不向きの湿地帯であった。
しかし、戦後まもない1946(昭和21)年ごろは、旧市街が米軍による立ち入り禁止地域になっていたことなどから、この地域に自然発生的に人々が集まるようになり、ありあわせの建材で建てたバラックが建ち並ぶ集落ができた。
1948(昭和23)年には開南付近にあった闇市場が移動してきたため、テント小屋の公設市場が出現。たちまちのうちに発展して、「下市場(シチャマチ)グワー」とよばれる商店街となった。
ひとたび大雨が降ると増水してあふれるガーブ川に、周辺一帯はしばしば悩まされてきたが、河川改修と川の上にフタをすることでこの問題を解消。現在の平和通りとその周辺の通りは、食材を中心とした沖縄特産品を買い求める観光客に人気で、「那覇市の台所」から少しずつ趣を変えつつある。 |