ジェット燃料やガソリン、軽油などを在沖米軍施設に送り込む送油管が地下を走る「パイプライン」は、米軍基地間の動脈のような存在である。
パイプラインは、1949(昭和24)年から1956(昭和31)年にかけて敷設されたものがほとんどで、那覇から読谷まで、5市2町1村にまたがってのびている。
那覇軍港から北に向かう送油管のルートは、奥武山公園、ひめゆり通り(国道330号)を通って浦添市の「パイプライン通り」の下をすすみ、宜野湾市伊佐付近で二方向に分かれ、普天間、嘉手納の両飛行場につながる。
浦添市の「パイプライン通り」は、国道58号と国道330号との間を並行して南北に走る通りで、那覇−嘉手納を戦前に走った軽便(ケービン)鉄道嘉手納線をなぞるように敷設さされている。しかし、アップダウンが激しい未舗装の悪路で、正式に道路となったのは1964(昭和39)年4月であった。
パイプラインはまた、燃料が漏れ出す事故が復帰前には多発したほか、数年前まであったバルブボックス(道の中央に設置された点検穴)が、車の運転を妨げることも多かった。 |