国頭街道の開通TextPhoto1

 1915(大正4)年に6月に開通した国頭街道(くにがみかいどう)は、西海岸沿いの道であるかつての西宿(イリジュク)を改修したもの。全長約72キロメートルの街道は沖縄県最大といわれた。
 ルートは、那覇から現在の嘉手納飛行場内にあった野国集落、嘉手納を抜け、比謝橋を渡って多幸山を通り、恩納村の海岸線沿いに北上して名護、羽地、今帰仁をむすんだが、のちには那覇−名護間を国頭街道とよぶようになった。
 1920(大正9)年4月1日には県道として認定。那覇−羽地間は、現在の国道58号線とほぼ同じコースだった。
 国頭街道が完成する以前は、名護から首里・那覇に行くには、仲泊−読谷山−嘉手納か仲泊−越来−中城のコースしかなく、2〜3日がかりの旅であった。しかも、そのいずれの道も野山を分け入るような細道で、馬車が通行できるようなものではなかったため、南北間の物資の輸送は、もっぱら山原船(やんばるせん)を使った海上輸送にたよる状態であった。
 それだけに、荷馬車が往来できるようになった国頭街道の完成は、沖縄島の南北間の物資輸送を飛躍的に向上させるもので、それまでの海上輸送は荷馬車による陸上交通に完全に切り替わった。
 米国のフォード製のバスが、国頭街道を走るようになったのは昭和初期。1943(昭和18)年ごろには木炭で走るバスが登場。馬力がないため、坂の多い場所に来ると乗客をいったん降ろさなければならなかったという。
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