沖縄県営鉄道は、沖縄県によって経営されていた鉄道。那覇と与那原をむすぶ与那原線(9.76キロ)をかわきりに、嘉手納線・糸満線も営業を開始。それから30年にわたり、県民には「ケービン」の名で親しまれた。与那原線・嘉手納線・糸満線と海陸連絡線(那覇駅−那覇港)をあわせた、沖縄県営鉄道の全延長営業距離は48.03キロ。
鉄道の敷設は、山原(やんばる)から木炭や炭などを那覇に大量に運び入れることを目指したもので、構想は1894(明治27)年からあったようである。与那原線が開通したのは、新橋・横浜間に日本初の鉄道が敷かれて42年後の1914(大正3)年12月のことであるが、軽便の開業は多くの人に待ち望まれたものであり、盛大な開業式典が行われたと伝えられている。
当時まだ営業していた客馬車より運賃が高かったこともあって、開通後1〜2年は軽便の客足はのびなかったが、通勤や通学の人々に愛用されたほか、山原船で与那原に運ばれた貨物を那覇に運ぶ際にも威力を発揮した。
また、1922(大正11)年3月に営業を開始した嘉手納線は、沖縄製糖嘉手納工場や比謝川河口の渡具知港に集まる中北部の貨物を、那覇に運び入れる際に活躍。当時の嘉手納は、中頭郡の中心としてにぎわった。
さらに、1923(大正12)年7月から糸満線も営業を開始。その後も、沖縄県民の足となって大勢の利用客を運んだものの、沖縄戦直前の1945(昭和20)年3月、軽便は運行を停止し、二度と甦ることはなかった。 |