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 明治末から昭和初期にかけて、沖縄にも電車が走っていた。
 電車を走らせる計画は1906(明治39)年からあったが、具体的になったのは1910(明治43)年12月に沖縄初の電気が通った翌年、沖縄電気軌道(株)が設立されてからである。同社は1914(大正3)年4月に首里−那覇間の一部(3.9キロ)で工事を完了し、5月から営業をはじめた。
 電車開業の日は大勢の人が詰めかけ、誰もが初めて見るイルミネーションや花で飾られた40人乗りの車両に、100人近くの人を詰め込んで走るほどにぎわったといわれる。10両編成で走り始めた電車は、那覇の大門(ウフジョー)久米を起点とし、首里山川までをむすんでいた。発車前に「チンチン」と鈴を鳴らしたことから「チンチン電車」とよばれるようになり、地方からわざわざ体験しにくる人がいたり、童謡に唄われるほど親しまれていた。

 とはいえ、すれ違いができない単線の軌道のため、始発駅から終点まで40分もかかる電車は決して早い乗り物とはいえず、徒歩が当たり前だったこともあって、電車に対する興奮が納まると利用者は次第に少なくなっていった。
 1917(大正6)年9月からは、沖縄電気軌道(株)の後を受けた沖縄電気(株)が通堂線を開通させ、全線6.9キロで営業が開始されたが、乗合自動車(バス)の進出もあって人気が回復することはなく、ついに1933年(昭和8)年3月20日限りで電車の運行は廃止された。
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