人力車が沖縄で使われるようになったのは、1884(明治17)年、有栖川宮(ありすがわのみや)殿下の来県に際し、その乗り物として搬入されてからである。
1886年(明治19)12月には、大迫貞清知事の専用車として1台が輸入され、それから民間にも急速に広がった。ピーク時には1967台を数えたとされる。
明治時代に日本で考案された人力車は、沖縄では主として首里・那覇の市街地を走る乗物として利用された。那覇の人力車は「那」の字、首里の人力車は「首」の文字を示し、夜は車堤灯に首里車が赤線2本、那覇車が赤線1本を入れて区別した。
木の車輪に金輪のついた車輪をもつ初期の人力車は、乗り心地のいいものではなかったが、大正15年ごろからゴム輪チューブに空気を入れたものに代わり、静かでスピードの出るものになった。
しかし、那覇・首里には坂道も多いことから車をひくのは難しく、腕と脚に自信がある者しかできない仕事とされていたようである。 |