車道の開通TextPhoto1

 荷馬車が通れる道ということから、「車道」とよばれた県道・郡道の新設・改修が進むと、それに合わせるように新たな陸上交通機関や仕組みが生まれ、関連する商売も見られるようになった。
 交通機関の主役となったのはまず荷馬車で、1883(明治16)年ごろから利用されるようになり、道の整備とともに広まった。
 国頭街道(くにがみかいどう)が開通すると客馬車がいち早く進出。庶民の足として親しまれ、最盛期には300台近くが全島で活躍したが、乗り心地が悪いことから「客馬車ではなくガタ馬車だ」とよばれたりしたという。
 しかし、これまでの何倍もの物資を楽に運べる荷馬車の登場は、沖縄の物流に大きな変革をもたらした。物資の活発な交流が可能となっただけでなく、那覇の市場の状況を地方につたえる役目も果たしたのである。
 県道の起点となった那覇近郊の壺川(佐敷街道)や垣花(糸満街道)、上之屋(国頭街道)には宿場町が形成され、客馬車や荷馬車でにぎわったほか、与那原・泡瀬・嘉手納・名護などでも宿場町が誕生した。
 1914(大正3)年には、レールの上を馬がひく軌道馬車が登場したが、人や馬が客を乗せて引っ張る乗物は、電車や鉄道・バスがあらわれると次第に活躍の場を失っていった。
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