琉球国惣絵図TextPhoto1Photo2

 1781(尚穆王30)〜98(尚温4)年の間に作成されたとみられる、極彩色の間切集成図。「琉球国惣絵図」(間切集成図)とよばれているが、原題は不明。NPO法人の琉米歴史研究会が、2001年4月に米国で6枚入手し、沖縄に持ち帰った。 それぞれの大きさはまちまちだが、おおむね49センチ×35センチ前後。
 「琉球国惣絵図」は、1737〜50年に実施された元文検地で作成された図をもとに、1780年代前半の情報を補足して作成されたとされる。数間切を一枚に描いていることから、本来は伊平屋島や久米島などを含めて25枚ほどあったのではないかと考えられている。
 各間切は、紅・黄・焦げ茶・緑・青などの彩色が施され、集落と建築物・海岸・河川・井泉などに名称が書き込まれている。網の目のように広がる街道は白線で、河川は紺色で示されている。

 6枚の集成図は次のように描かれている。

1枚目 首里・那覇に真和志・小禄・南風原・豊見城。
2枚目 現在の糸満市域である兼城・高嶺・真壁・喜屋武・摩文仁・東風平・具志頭の7間切。
3枚目 大里・佐敷・知念・玉城の4間切。
4枚目 浦添・宜野湾・西原・中城の4間切。
5枚目 北谷・越来の2間切。
6枚目 国頭間切の西側半分。
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