牧港橋は、現在の浦添市と宜野湾市の境に位置する、牧港川の河口にかかっていた橋。
牧港は南北をつなぐ交通の要所であったが、長いあいだ橋がなく、牧港川の上流の黄金宮の前近くを、人々は迂回していたという。やがて木橋がかけられたものの、尚敬王の代になると崩壊寸前になったため、1735(尚敬23)年10月から翌年2月にかけて七つのアーチをもつ石橋に改修された。
1853(尚泰6)年には、アメリカのペリー艦隊の一行が沖縄本島探索の際にこの橋を訪れたことが、『日本遠征記』(1856年)に掲載された石版画(ウイリアム・ハイネ作)で知られている。
1881〜82(明治14〜15)年ごろには「靉靆橋(あいたいばし)=雲がたなびいた様な眼鏡橋の意味」と讚えられたものの、沖縄戦の際に破壊され、一部残っていた石積みも1950(昭和25)年ごろ、米軍の軍用道路である旧1号線の工事にともなって姿を消した。 |