近世琉球の道 概要Text

 首里王府による中央集権化と、地方支配が強化されていった近世琉球では、それぞれの間切(まぎり=現在の市町村)の再編や境界の明確化が求められた。各間切をむすぶ幹線道路である宿道(しゅくみち)と、それぞれの番所(ばんじょ=現在の役場)間の伝達システムである宿次(しゅくつぎ)が重要視され、道路整備とともに交通利便の地に番所を移すところが増えてきた。
 こうして、ほぼこの時期に、沖縄の陸上交通の体系はつくりあげられ、街道とよばれるようになっていった。
 これらの道は当時の主要な交通路であったが、首里や那覇の近郊を除いては、現在から考えるような整備された道路は少なく、人々や馬が通るにはかなり困難な道だったようである。
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