山田 實(やまだ みのる) 作品 略歴 メッセージ 戻る

時の謡・人の譜・街の紋

 昭和22年に沖縄に帰って、写真の仕事で人生の再スタートをした。焼土と化し荒廃した郷土の山野を無性に駆け回り、復興途上の街や村の撮影、心身共に貧しく底辺で黙々と働く庶民の姿にレンズを向けてきた。

 騒然とした社会とは別なところで、静かに生活を守り、精いっぱい生きている人たちがいる。そんな生きざまの記録を残したかった。責任感みたいなものを感じていた。

 零下40、50度の極寒のシベリア奥地で苛酷な重労働と飢餓の苦難の捕虜生活、三度の死の危機を体験し、すっかり洗脳された私が舞鶴港に奇跡の生還をしたのは22年の8月、桟橋には日の丸の旗をふって婦人やこどもたちが出迎えてくれた。枯れ果てた私の目から久しぶりに熱い涙がこぼれ落ちた。

 特に海洋博後の変ぼうぶりはすごかった。
 昔、僕がとった風景を再び見ることはできない。

 ぼくらの時代は、沖縄出身と言えないような環境だった。学校では沖縄の歴史も教えてもらえず、郷土の誇りは何もなかったから‥‥。
 どこの出身?と聞かれたとき、どうしても沖縄とは言えなかった。山之口貘と同じ心境です。

 親が働いているので子守をしている少年少女、農作業を手伝っている子、水くみをしている子、苦しい環境にありながら、この子たちの表情はいつも明るく、健気であり、私は胸を熱くしながら撮り続けた。このこどもたちも今日では50代の年令、戦後の沖縄の復興を大きく支えて来た階層である。40数年が経つとまったく貴重な記録となっている。

山田實写真50年『時の謡・人の譜・街の紋』写真集より

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