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沖縄の民権運動の父。謝花昇

image 謝花昇(じゃはなのぼる)は、他府県(たふけん)の人たちと同じような権利(けんり)を、沖縄の人たちが勝ち取るために活動した社会運動家である。


 謝花昇は、1865年、東風平間切(こちんだまぎり)のまずしい農家に生まれた。おさないころから勉強が大好きで、農作業をしながらも、地面に字を書いたりしていた。しかし、「ひゃくしょうに学問はいらぬ」という父は学校に行かせてくれなかった。そのため、かれは父にかくれて学校に行き、教室の外から先生の話を聞いていたという。
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沖縄師範学校跡の記念碑(おきなわしはんがっこうあとのきねんひ)
 そんな昇が学校に行けるようになったのは、かわいそうに思った母が父をせっとくしてくれたおかげであった。ゆうしゅうな成せきをおさめた昇は、17さいの時、間切の人々にあとおしされ沖縄師範学校(おきなわしはんがっこう)に進んだ。

 師範学校の生徒は、ほとんどが士族(しぞく)の子どもだった。そんな人たちから「いなか者」とばかにされながら、かげ口も気にせず勉強にはげんだ昇は、1882(明治15)年に、留学生(りゅうがくせい)に選ばれて上京することになった。
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