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  やんばる地方の恩納(おんな)で生まれた恩納ナビーは、自由な発そうでさまざまな思いをすなおに歌いあげた、琉球を代表する女流歌人(じょりゅうかじん)である。 
 
 恩納ナビーがいつごろ生まれたのか、はっきりとわからないが、かの女が残した歌から、1700年代のなかばごろに生まれたのではないかといわれている。恩納(おんな)では「マッコー屋のナビー」といわれていたようで、ナビーの家の庭に、庭木や盆栽(ぼんさい)などに使われるマッコーという木がたくさん植えられていたことから、そうよばれるようになったとされる。
 
 尚敬王代(しょうけいおうだい/1713〜51年)の時、最もえらい役人のひとりになった蔡温(さいおん)が、農民たちの楽しみだったシヌグおどりを禁止(きんし)した。
 禁止を知らせるふだが恩納にたてられると、年ごろになっていた17、8さいのナビーは、次のような歌(琉歌=琉球の言葉で歌われる)をよんだと伝えられている。
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