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 4回めに中国をおとずれた程順則は、『指南広義(しなんこうぎ)』と『六諭衍義(りくゆえんぎ)』という本を持ち帰った。
image 『指南広義』は、きけんなこう海が少しでも安全になればと考えた程順則が、天候や天文などについてまとめたものである。『六諭衍義』は中国に昔からある道とくの本。やさしい言葉で書かれていて、中国語を学ぶためにもいいと考えた順則は、自分のお金をはたいて印刷して持ち帰った。その後、この『六諭衍義』は将軍吉宗(しょうぐんよしむね)の手にわたり、寺子屋の教科書として日本国中に広まった。

 程順則は51さいの時にはじめて江戸に上り、日本の有名な学者と交流した。琉球にもどると、つねづね考えていた学校をつくるように王様にお願いした。
 「教育よりまず政治(せいじ)だ」と反対する人たちもいたが、順則は「教育を高めてこそ、いい政治がおこなえる」とねばり強くせっとくした。こうして1718年、琉球ではじめての学校「明倫堂(めいりんどう)」が久米村にできた。

 その後、王府のえらい役人として名護間切(なごまぎり)の領主になった順則は、多くの人におしまれながら71さいでこの世を去った。
 

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