尚真が王様になると、首里城(しゅりじょう)のまわりには役人たちの住む家がのきを連ね、石だたみの道や、寺、墓(はか)などがつくられ、首里(しゅり)は城下町(じょうかまち)としてりっぱに整えられた。
仏教を深く信じていた尚真王は、父・尚円をまつるため円覚寺(えんかくじ)をつくった。
また、王家の墓である玉陵(たまうどぅん)がつくられたのもこの時代である。尚真の母・オギヤカは、王一族の力をいつまでも残しておきたいと思い、自分の血をひくものだけをこの墓にほうむらせた。
当時、位(くらい)の高い人が死んだ時には、その付き人もいっしょに死ぬというざんこくな決まりがあったが、オギヤカが56さいでなくなり、玉陵にほうむられる時、尚真王はこれをやめさせた。
尚真は、王様の座についていた50年のあいだ、平和でゆたかな琉球王国をきずくことに努力し、61さいでこの世を去った。琉球王国はその後も長いあいだ争いごとがなく、平和な時代がつづいた。
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金城町の石畳道(きんじょうちょうのいしだたみみち)
亀甲墓(かめこうばか)
円覚寺(えんかくじ)
玉陵(たまうどぅん)
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