総論 沖縄の移民
石川 友紀(琉球大学教授)
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5.移民先国と母県との交流

 母県である沖縄県と海外在住も沖縄系移民とのつながりは強く、戦前は多くの送金により疲弊していた母県母村の経済を潤してきた。大正末期から昭和初期にかけては、沖縄県は「ソテツ地獄」と呼ばれるほど経済的に落ち込みが激しかった。その時期、沖縄県における海外在留者からの送金額は1923年(大正12)に約86万円で、県歳入総額の44.6%にも及んだ。同様に1929年(昭和4)の198万円は66.4%をも占め、1933(昭和8)の約208万円は37.9%を占めた。このことからも、いかに海外移民が県経済に貢献していたかがうかがえる。
 太平洋戦争終戦の直後は敗戦による悲惨な時期に海外各地の移民から日本の郷里へ温かい救援の手が差しのべられた。1941年(昭和16)から1945年(昭和20)までのほぼ5年間戦争で壊滅的な被害を受けた沖縄県も、その後の米軍統治下で深刻な物資不足に悩んでいた。これに対して、海外在住の沖縄県出身移民は救援団体を組織し、「戦災救援運動」と称して多くの救援物資を送りはじめボリビアへと広がり、1951年(昭和26)ごろまでつづけられた。この運動が戦後の沖縄後興に果たした役割は大きく、その貢献は計り知れないものがあった。
 最近では、ボーダレスな国際化の時代に即して、沖縄県系人の世界的なネットワークが組織されている。きっかけは、1990年(平成2)に沖縄県で開かれた「第1回世界のウチナーンチュ大会」であった。17カ国から約2,400人もの沖縄県系移民が一堂に会して、県民と多角的な国際交流をおこなった。1995年(平成7)の第2回大会には25カ国から約3,800人が参加した。そして2、3世のジュニア・サミットなどもおこなわれ、回を重ねるごとに交流の輪は大きく広がっていった。
 将来国際交流にとって有望な団体として取り上げたいのがWUB(ワールドワイド・ウチナーンチュ・ビジネス・アソシエーション)である。WUBは非営利団体として1997年(平成9)9月にハワイで結成され、2年間でハワイ・ブラジル・アルゼンチン・ボリビア・ペルー・北米・東京・香港・沖縄の9支部が設置された。WUBは世界の県系人(ウチナーンチュ)を中心にネットワークを形成することにより、ビジネス・文化・教育交流と相互の親睦を図ることなどを目的とするものである。とくに、世界各国で活躍する県系人の人脈を生かし、沖縄にこだわったベンチャービジネスを展開することを支援している。WUBの大会は1997年にハワイで第1回、1998年(平成10)にブラジル・サンパウロ市で第2回、1999年(平成11)に北米・ロサンゼルス市で第3回が開催され、WUBインターナショナルのロバート・仲宗根会長を中心に会員数約200人で、言語も日本語・英語・ポルトガル語・スペイン語の4カ国語で進められている。将来、大いなる発展が期待されている団体である。