総論 沖縄の移民
石川 友紀(琉球大学教授)
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2.沖縄県における出移民略史

 日本からハワイへの本格的な集団移民の開始は、1885年(明治18)のことである。それから14年11カ月後の1900年(明治33)に、26名の沖縄県人が集団移民として初めてハワイへ渡った。かれらは1899年12月5日那覇港を出帆した。鹿児島・神戸を経由して、同年12月30日にチャイナ号(外国船・5,900総トン)に乗船して横浜港を出航する。翌年1月8日にオアフ島のホノルル港に到着し、上陸を許可された。このハワイへの移民送り出しにあたっては、沖縄県や「沖縄移民の父」と称される金武村出身の當山久三に負うところが大きかった。
 沖縄県からハワイへの第2回移民は、その3年余後の1903年(明治36)に農業自由移民として40人(県統計上は45人)が送り出された。1904年(明治37)になると、ハワイへの移民は増加し、また、メキシコとフィリピンへの移民も開始される。翌1905年(明治38)には仏領ニューカレドニア島、1906年(明治39)にはペルー移民、1908年(明治41)にはブラジル移民も開始される。なお、1906年はハワイ移民が大部分を占めるが、沖縄県における出移民の総数が史上最高の4,670人を記録するまでにいたる。その後、沖縄県から世界各国への移民が継続して、とくに大正時代から昭和10年代までに大部分が送り出される。
 わが国は第2次世界大戦前および戦後も1950年代まで、沖縄県は1960年代まで、人口が多く住むべき土地も少なく、海外へ移民を送出すべきだという主張があった。すなわち、「土地が少なく、人口が多い」という世論におされて海外へ移民が出た場合も少なくなかったが、わが国の人口過剰の解決にはならなかった。
 2000年(平成12)1月には、沖縄県からハワイへの移民が100周年を迎えた。現在海外移住の沖縄県系移民(2、3世などを含む)は約34万人と推定され、全日系人人口約250万人の13.6%をも占める大勢力を形成している。沖縄県系移民の多い移民先国を推定であげてみると、ブラジルが約15万人(全日系人の約10%)、アメリカ合衆国が約9万人(同約8%)、ペルーが約6万人(同約70%)、アルゼンチンが約3万5,000人(同約70%)、ボリビアが約6,000人(同約60%)となる。第2次世界大戦前には、この南北アメリカ大陸のほかに東南アジアのフィリピンに約2万人、シンガポールに約3,000人、南洋群島に約5万人、台湾に約2万人、満州に約3,000人の沖縄県出身移民が在留していたといわれている。
 個人的体験として、2000年(平成12)1月8日ハワイ沖縄県出身移民100周年記念祭の開会式・慰霊式典並びに祝賀晩餐会に出席したときのもようをお伝えしたい。この記念式典・祝賀会は最初の沖縄県出身移民が1990年(明治33)1月8日にハワイのホノルル港に到着し、その後海外のウチナーンチュ(沖縄県系人)約34万人の草分けとなった26人を記念するための1年間にわたる式典・行事の幕開けとなる行事であった。アメリカ合衆国ハワイ州は沖縄県とほぼ同数の約130万人の人口をようしているが、うち約30万人の日系人がいて、うち約5万人はウチナーンチュが占めている。現在、ハワイは2世から3世の時代に入っていて、この式典・祝賀会も言語はほとんどすべて英語でなされた。一部日本語や沖縄方言が話されたが、それも英語に通訳された。このことは、1998年(平成10)8月ブラジルとアルゼンチン両国において沖縄県出身移民90周年記念式典がおこなわれたさい、日本語と現地語の双方の言語が使用されたのとは相違する点であった。
 ハワイの式典の内容は1世移民を讃えるような歴史と伝統を重んじ、2世・3世がこれをうけつぎ、4世・5世など未来への橋渡ししていくという趣旨が若者による劇として演じられ、深い感銘をうけた。また、ハワイのウチナーンチュのすばらしいバイタリティーとアイデンティティーを感じたのは、2000人にも達せんとするホノルル市のシェラトンワイキキホテルに集まった海外各地のウチナーンチュやチャーター機でかけつけた母県の人々との一大交流の姿であった。
 この2000年のハワイにおける沖縄県出身移民100周年記念行事は毎月開催された。とくに同年9月2日〜3日のホノルル市カピオラニ公園での沖縄フェスティバルは、かつて前アメリカ大統領のクリントン氏も参加したといわれるほどハワイにおける一大行事となっている感がある。今年のテーマが「おかげさまで、2000:1世紀のウチナーンチュ・アロハに架ける橋」「ヌウジ(虹)カキヤビラ(かけましょう)」「虹:世代の架け橋」"OKAGESAMADE 2000, Bridging a Century of Uchinanchu Aloha"であり、2000年代に夢をもって羽ばたく気概が感じられる。ハワイを始め、世界各地をネットワークで結ぶ沖縄県系人のバイタリティー、その旺盛なる活力を、母県の私達も見習いたいものである。