1925年(大正)
1925年
(大正14)



県人漁夫23人がシンガポール向けシャトル丸で門司を出港。


1926年(昭和) 1926年
(大正15・昭和元年)

3.28 「布哇沖縄海外協会」創立。








6.22 政府は沖縄のブラジル移民を条件をつけ解禁。




8.22 ブラジルで「球陽協会(在伯沖縄県人会)」創立。




1927年
(昭和2)

1.11 サイパン島の南洋興発会社に働く県出身労働者(約400人)賃金問題でストライキに突入。








3月 海外移住組合法公布。
国立神戸移民収容所設立。



1928年
(昭和3)



6.10 拓務省設置。

世界恐慌。 1929年
(昭和4)







1930年
(昭和5)

9月 サイパン・パラオ・トラック島等で本県出身の漁夫の発動機漁船によるカツオ漁が盛んとなる。





1931年
(昭和6)



6.26 金武村の雄飛の森に當山久三の銅像を建立。

3.1 満州帝国建国。
1932年
(昭和7)












4月 県保安課、移民の手数料や申込金などを搾取する悪徳募集人の取締を各署へ厳命。





5月 サイパンの県人失業者続出。





1934年
(昭和9)



6.11 那覇市に開洋会館(移民会館)落成。





11月 ロサンゼルスで「在米沖縄県人会」創立。



この年、政府が沖縄のブラジル移民に対する付帯条件を撤廃(完全撤廃は1936年) 。




1935年
(昭和10)



5.1 金武村に當山久三記念館が落成。







8.24 糸満漁夫7人、ボルネオへ潜水夫として雇われて出発。





10.30 フィリピンで、大城孝蔵死去。



10月 フィリピンで排日土地問題起こる。




この年、沖縄出身の漁業従事者3270人が、東南アジア地域で活躍。






1936年
(昭和11)



2.26 2.26事件





6.26 ペルーで「移民並びに営業制限に関する大統領布」公布。





1937年
(昭和12)



4月 糸満小学校に移民科と水産科を設置。



1938年
(昭和13)



4月 満蒙開拓の沖縄青少年義勇軍51人、茨城県内原訓練所入所のため那覇を出発。



1939年
(昭和14)



11月 県会28号海外渡航者取扱営業取締規制を制定。



1940年
(昭和15)



5.12 第一回満州開拓農民先遣隊出発。





5.13 ペルーのリマ市で排日暴動おこる。法人被害約600軒。





1941年
(昭和16)



3.1 金武村と糸満小学校に拓南訓練所開設。





12.7 戦争勃発でペルー在住日本人の国内旅行の禁止、財産没収、営業停止。



12.8 日本軍、ハワイ空襲対米英宣戦布告。




戦争勃発による、アメリカ、カナダの在留日系人の強制収容始まる。
同日フィリピン在留日系人も強制収容される。
この年、戦争勃発により敵性団体とみなされ、ブラジル球陽協会解散。




日伯国交断絶。
1942年
(昭和17)

1月 ブラジルでは日本語の使用禁止。日本字新聞、雑誌の発行禁止。



2月 日秘国交断絶。









1943年
(昭和18)

7月 ブラジルのサントス及び沿岸地帯在住の日本人に24時間以内の退去命令が出される。





1945年
(昭和20)



6月 日本軍壊滅。沖縄戦終わる。







8月 沖縄諮詢委員会発足。





11.29 ハワイで「沖縄衣類救済運動委員会」が組織される。





1946年
(昭和21)



4月 沖縄民政府発足。





6.23 ロサンゼルスで「在米沖縄救援連盟」が組織される。





1947年
(昭和22)

3月 ブラジルの県人大多数が日本の勝利を信じ(「勝ち組」 「臣道連盟」)、郷土救援運動難航する。
ハワイで財団法人「沖縄救済更生会」を設立。








6月 ブラジルで第1回沖縄県人有志大会を開き、「沖縄救援連盟」を結成。





1948年
(昭和23)

9.27 ハワイ連合沖縄救済会から豚500頭余沖縄へ到着。









10.22 「沖縄海外協会」再発足。



1949年
(昭和24)

1.25 ボリビアで「沖縄戦災民救援会」設立。



この年、戦後初めて呼寄せ移民33人がアルゼンチンへ空路出発。ペルーへ移民1人。
戦後初めて、ブラジルへ5人、メキシコへ1人移民。

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