明治以降の芝居小屋の時代
雑踊り

 明治12年(1879)の廃藩によって、王府という職場を失った士族とくに冠船の踊り手や音楽家たちは路頭に迷うことになる。那覇にカマジー芝居ができ、その後仲毛や端道と呼ばれる地域に芝居小屋が建った。そこで組踊、古典舞踊と狂言が上演された。宮廷芸能が滅びて行くのを見かねた首里の有力者の後押しもあり、庶民は芝居小屋で気品高い宮廷舞踊や組踊を初めて目にした。
 商業演劇の発展は、玉城盛重(たまぐすくせいじゅう)・新垣松含(あらかきしょうがん)・渡嘉敷守良(とかしきしゅりょう)などのすぐれた男優(舞踊家)を生み出し、古典舞踊が広く一般庶民に浸透する基礎をつくった。はじめ新鮮に映った冠船芸能もしだいに飽きられ、庶民的で親しみやすい舞踊が求められた。役者の感性と古典舞踊を土台に、庶民の風俗をテーマに創作された雑踊りの名作が、この時代次々と誕生することになる。


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那覇市劇場略地図那覇市劇場略地図 詳細1那覇市劇場略地図 詳細2那覇市劇場略地図 詳細3
泊阿嘉
泊阿嘉
(トゥマイアーカー)
薬師堂
薬師堂
(ヤクシドウ)
仲直り三良小
仲直り三良小
(ナカナオリサンラーグァー)

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写真:砂川敏彦