15世紀に成立した琉球王朝は、中国との朝貢貿易を中心に朝鮮・日本・東南アジア諸国との交易と文化交流をを通して、独特な王朝文化をつくりあげました。とくに中国からは、朝貢国として破格の待遇を受け、多くの文物と各種の技術が伝たわりました。その一つが琉球の漆芸だと考えられています。 16世紀には琉球独自の優れた漆芸品が生産されました。当時の琉球漆器には、細密な線彫りの沈金や、のびやかに文様を描いた朱漆螺鈿(しゅうるしらでん)などがあります。
1609年に琉球王国は薩摩に征服されましたが、漆芸は、その支配下でも日本の影響を巧みに受けとめながら螺鈿を中心に独自の発達をとげました。
王府の貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)では、将軍家への献上品や諸大名への贈答品、あるいは中国皇帝への朝貢品として、黒漆に精巧な螺鈿の作品が製作されました。 このようにな豪華な漆芸品で、王国の外交はきらびやかに飾られていました。
19世紀になると民間工房の生産も盛んになりました。再び朱漆が多くなり、また量産に適した箔絵(はくえ)や堆錦(ついきん)による簡単な文様が多くなりました。