日 本 |
琉 球 |
琉 球 漆 芸 主 要 事 項 |
室 町 時 代
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古
琉
球
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1372 |
明朝へ金銀粉匣・櫂子扇・殻を貢ず |
1406 |
明朝へ中山王より謝恩の為、漆塗鞘刀剣、螺殻などを進上(以後中国朝貢・冊封の国交は1874年まで続き多数の漆工品が中国へ贈られる) 暹羅(現タイ)へ交易の為、織物・磁器・腰刀・摺紙扇を進上(以後暹羅との交易は1570年まで続く) |
1428 |
明使節紫山、琉球にて生漆270斤購入 |
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戦
国
時
代
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琉
球
王
国
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1429 |
琉球王国成立(三山統一さる)旧港(現インドネシア)へ織物・磁器・腰刀・摺扇などを進上(以後旧港との交易は1440年まで続く) |
1430 |
爪哇国(現インドネシア)へ織物・磁器・腰刀などを進上(以後爪哇との交易は1442年まで続く) |
1431 |
琉球は明の指示で、生漆など隣国産有地へ購入に行ったが、船が遭難、沈没し、預かった銭も返還不能となる |
1432 |
明より琉球へ先年に破損した船の責任は問わず、更に生漆や腰刀など購入の勅諭が届く |
1458 |
足利義政に剔金菓子盆を贈る |
1463 |
満利加国(現マレーシア)へ礼物献上として織物・磁器・腰刀・扇などを進上(以後満利加との交易は1511年まで続く)
蘇門答刺国(現インドネシア)へ礼物献上として織物・磁器・腰刀・扇などを進上(以後蘇門答刺との交易は1468年まで続く) |
1470 |
第二尚氏(尚円)王統始まる |
1478 |
朝鮮漂流民、那覇の国王行列における漆輦、寺院内漆塗を実見する |
1500 |
百按司墓内にこの年の年号(弘治13年)を記した朱漆金巴紋木棺あり 久米島の君南原祝女(ノロ)(祭司者)へ八重山征討の功績として、沈金丸櫃・小櫃を与える 現存 |
1509 |
安南国(現ヴェトナム)へ使節派遣礼物として腰刀進上 |
1523 |
奄美大島笠利の祝女へ沈金丸櫃を与える 現存 |
1529 |
奄美大島笠利宇宿の祝女へ沈金丸櫃を与える 現存 |
安 土 ・
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桃 山 時 代
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1579 |
沖永良部島の森家に沈金丸櫃与える 現存 |
1585 |
島津義久へ朱漆花鳥食籠台付・漆絵密陀花鳥盤20贈る |
1589 |
秀吉へ沈金足付盆・同小櫃の贈物 高台寺現存 |
1590 |
オーストラリア・ハプスブルグ家、この年の遺産相続目録に朱漆花鳥箔絵椀あり 現存 |
江
戸
時
代
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1600 |
徳之島手手祝女へ沈金丸櫃を与える 現存 |
1609 |
薩摩(島津氏)の侵攻島津家久、家康、秀忠、福島正則らに唐板屏風・食籠・唐折敷・硯屏などを贈呈する |
1610 |
尚寧王、島津氏と共に江戸に上り、家康、秀忠へ食籠・唐盤など多数献上(以後1850年までの18回に及ぶ江戸上りの際に、将軍や大名へ漆器を贈呈する)島津氏が琉球の漆樹を上木(浮得税)とする |
近
世
琉
球
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1611 |
尚寧王、京都の袋中上人へ漆工品7点を含む30点余の品目を贈る 現存毛泰運(保栄茂親雲上盛良)が貝摺奉行に任命される |
1616 |
家康の遺品分与帳に多数の琉球漆器が記載される |
1617 |
家康の側室正木氏、朱漆牡丹紋鳳凰七宝繋沈金盃・盃台を妙法華寺に奉納 |
1626 |
1628年まで、3回にわたり島津氏が琉球へ多量の茶道具の注文をする |
1635 |
上木7品目の米による代納開始。漆樹1本に付き米3合づつとなる |
1641 |
曾氏国吉、びんで螺鈿法を学び帰国、貝摺師となる |
1644 |
中村渠、薩摩で檜物師に学び、帰国、檜物主取に任命される |
1658 |
琉球王より千宗旦に青貝香合を贈る 現存 |
1671 |
尾張光友に黒塗梅七宝繋箔金絵沈金三足丸盆10進上 |
1686 |
王府が八重山に漆があるとの情報確認の為の文書あり (以後同文書には八重山における漆の植栽育成に関する記録が1731年まで続く) |
1690 |
大見武憑、清に渡り煮螺の法を学び、螺鈿技法に大きな変革をもたらす |
1699 |
漆樹に関する上木税、免ぜらる |
1713 |
貝摺奉行・漆器(若狭町塗ノ器具等)など漆工芸に関する記録あり |
1715 |
房弘得(比嘉筑登之親雲上乗昌)堆錦を考案し賞賜を受く。しかし、堆錦の語句は古くから用いられているため、堆錦を大きく工夫改良したと解される |
1725 |
中山王より清へ黒漆嵌螺五爪龍椀30・黒漆嵌螺五爪龍盤30進上 |
1742 |
貝摺奉行所仕様帳の、楼閣山水貝摺食籠飯及び台・蒔貝地ニ貝片散貝摺文台硯箱等4点、この年製作の記述あり (以後1848年まで同帳に製作漆器の記述あり) |
1774 |
平戸松浦氏、朱漆山水楼閣人物箔絵楕円盆に琉球製の箱書あり 現存貝摺師3名、木地匠3名を薩摩に遣わす |
1796 |
この頃中山王府式楽楽器一式を尾張家・水戸家へ贈る 現存 |
1827 |
「大和へ御進物道具図并入目料帳」が作成され進物用漆器の仕様の記述あり(以後同帳には1829年、1870年に大和への進物用漆器についての記述あり) |
1849 |
英国人宣教師ベッテルハイムが、英船へのみやげ用として、大形弁当・黄塗大形多葉粉盆などの漆器を首里王府に依頼し贈呈さす |
1854 |
ペリー一行が、朱漆硯蓋・朱漆菓子皿・朱漆七寸重箱・黄塗茶台・黄夜食膳・弁当などを首里王府の許可を得て購入す |
1856 |
漆樹の種を琉球へ移植する方法についての記録あり |
明 治 時 代
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1872 |
琉球国から琉球藩となる |
沖 縄 県
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1879 |
琉球処分。琉球藩から沖縄県となる貝摺奉行所解体される |
1889 |
沖縄県農商課長石沢兵吾『琉球漆器考』をまとめる |