交通方法変更(1978)
交通方法変更(ナナサンマル)。沖縄県民が戦後30年余り慣れ親しんできた「車は右、人は左」の交通方法が7月30日午前6時を期して全国同様の「車は左、人は右」になった。復帰後、最後の大型プロジェクトといわれ、この朝、主な交差点は鈴なりの見物人が押しかけた。1978(昭和53)年7月30日、那覇市泊高橋交差点。沖縄タイムス社刊『写真記録 沖縄戦後史』より