豊見親とは15〜16世紀初頭、宮古各地に存在した小共同体の称号。この豊見親墓は、仲宗根豊見親(なかそねトゥイミヤー)の墓、仲宗根豊見親の三男、知利真良豊見親(ちりまらトゥイミヤー)の墓、仲宗根豊見親の継室(けいしつ・後妻)あとんまの墓という、三つの墓から構成されている。この墓の特徴は、入り口正面にツンプン(ヒンプン)があり、墓室上部に短い石柱が立ち並んでいること。宮古のミャーカ(巨石墓)と沖縄本島の様式がまざっている点も、当時の交流を知る上で見逃せない。写真は、父親とともに二度にわたる八重山討伐に参加し、その後、八重山頭(かしら)をつとめた知利真良豊見親の墓。1993(平成5)年国指定重要文化財。仲宗根豊見親の墓は1956(昭和31)年県指定史跡。写真:大城弘明 |

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