解説
いったーあんまーまーかいが(沖縄本島・一般)

 美しい旋律と、親しみのある歌詞で、沖縄人(うちなんちゅ)の郷愁をさそう、沖縄そのものといった感じのうたです。そのためか、沖縄芝居や歌劇の中でもよく歌われたりしているので、全島的に広まっています。       

 
月桃の葉

 現代の日本語は音楽的ではない、などとよく言われます。それは、古来、日本語そのものは大変美しい言葉ですが、それを西洋の、平均律という合理的に構成された音符にのせると、いろいろ不都合がおきるからでしょう。ところが、日本に古くから伝わる能、歌舞伎等の音楽や、各地方で歌われるわらべうた、民謡等にはそうした違和感は全くありません。中でも沖縄の方言は、リズムやイントネーションがとても音楽的です。オモロやそれ以前からの、沖縄の文学は全て謡い物で、語り物ではありませんでした。また、地方の伝統的な祭祀や祭りをみても、必ずうたが伴います。日本本土には例をみない、沖縄独特の歌劇の存在もその大きな証しでしょう。沖縄の音楽をそのまま西洋の音符で表すのには無理が伴います。それは、平均律という合理的な音符にあてはまらない音が沢山あるからです。児童用の本には楽譜が掲載してありますが、これは、どのように歌うかという1つの目やすで、楽譜を絶対化せず指導して下さい。また、ピアノ伴奉をつけるのは、無理に無理を重ねることになりますので、出来るだけ伴奏しないで、子供たちの中に入って一緒に歌って下さい。
 さて、「いったーあんまーまーかいが」のうたは、言葉と音楽が美しく融け合った素晴らしいうたです。  
ある作曲家が、本土では沖縄の言葉がわからないので、と「お前の母さん何処行った、山羊の草刈りに」と歌うようにして紹介しましたが、これではせっかくのわらべうたらしい「土の香り」が失われる危険性があります。また、数年前沖縄のある地区の保母さんの集まりに招かれ、沖縄のわらべうたの講習会でこのうたを教えたところ、ある保母さんから、「父兄から、“あんまー”などという下品な言葉を教えてもらっては困ります、という苦情を受けたことがあるがどうしたらよいか」という質問を受けました。もっと、自分の育った土地の言葉や音楽に誇りをもってほしいと思います。

 この曲も沖縄各地で歌われているわらべうたで、歌い方も地方によって、大分異なっています。
また、近年ある歌劇の中で歌われたり、民謡歌手がさかんに歌うので一層広まりましたが、それらの歌い方は、ノドを聞かせるため技巧的になっているようです。
 また、同一曲ですが、歌詞も曲も多かれ少なかれ違っていて、それでいて美しいメロディーの曲がありますので紹介しておきましょう。

山原(やんばる)かいどー船小(ふにぐゎ)
ゆー走(は)りよ船小(ふにぐゎ)
思(うむ)や小(ぐゎ)やまんでぃ
我船(わふに)走(は)らん
姉小(あんぐゎ)そーてぃコッコイ

山原へ行く船は
よく走る船だけれど
私には思う人が沢山いて
私の船はよく走れない
姉さんも連れてコッコイ

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