首里城前の綾門大道(アヤジョウウフミチ)から、那覇に続く道の途中にある崇元寺(そうげんじ)は、歴代の国王が祀られた寺として知られている。中国から来琉した冊封使(さっぽうし)は、まずここに立ちよって前王の諭祭(ゆさい=葬儀)をおこない、首里城におもむいた。崇元寺の創建年は不明だが、1527(尚清元)年には、馬を降りることを命じた「下馬碑」が建立されている。
崇元寺まえの石畳道には中央分離帯があり、そこに植えられたマツやデイゴの大木で、家畜を連れた者や身なりの悪い者などが寺から見えないように工夫されていたようである。
崇元寺から久茂地川を越え、川沿いの道路から1本中に入って並行に走る道が、かつての長虹堤(ちょうこうてい)跡といわれる十貫瀬通りである。十貫瀬(ジッカゥンジ)は、現在の那覇市牧志2丁目、ダイエー那覇店の向かい側一帯をさす。戦後、神里原・桜坂に続いて発展した那覇の歓楽街として知られていたが、本土復帰したころから寂れはじめ、再開発が進行中の現在、かつての街並は大きく変貌しようとしている。道に沿って西に行くと、にぎやかな街の中や裏手に眠る新修美栄橋碑記・七ツ墓や瓦工の渡嘉敷三良(とかしきサンラー)の墓などに出会うことができる。
「十貫瀬」の名は、十貫の銭を岩の上に置き忘れた人が、5〜6年後に戻ってみると、元の通り岩の上に置いてあったという伝説に由来するもので、「十貫岩」が「十貫瀬」に変化したとされる。 |