戻る道TextPhoto1Photo2

 国頭村宜名真(くにがみそんぎなま)にある「もどる道」は、1913(大正2)年に改修されるまで、断崖絶壁を通る100メートルほどの坂道として知られていた。人がすれ違うほどの道幅がないことから、中間地点に置かれた旗に先にたどり付いた者が優先して通れるという取り決めがあった。先に旗までたどりつけなかった者は、今来た道を引き返らざるを得なかったことから、「戻る道」とよばれるようになった。

 道路改修を計画したのは、恩納(おんな)村出身の当山正堅という辺戸(へど)小学校の校長で、1912(大正元)年12月に26歳の若さでこの地に就任したばかりだった。
 当時の宜名真集落の人々は、東シナ海と山に挟まれた集落に平坦な土地がないため、「もどる道」を通って上方にある土地を耕していたが、急傾斜で険しい道は、雨や風の日には通れなくなるなど不便なものだった。未就学や長期欠席児童が多く、その原因が耕作地の乏しさにあることを知った赴任早々の当山正堅校長は、「もどる道」の改良と原野の開墾を熱心に村や県に働きかけた。そして、毎日4〜50人の宜名真部落民の労力と経費提供もあって、「もどる道」の改良工事は、着工から半年たった同年11月3日に完成したのである。

 海岸沿いに北上する街道は、1920(大正9)年に大国トンネルが完成し、1921(大正10)年には辺土名までつながった。1937(昭和12)年には座津武(ざつん)トンネルが開通し、1940(昭和15)年には海岸線沿いに奥までの道が完成した。1972(昭和47)年の本土復帰後は、これらの道は国道58号線として整備されている。
 1983(昭和58)年には海岸よりに宜名真トンネルが開通し、かつての悪路を少しも感じさせないほど山原路は快適な道路になっている。
 「もどる道」は、現在も村民の生活道路として大きな役割を果たしているほか、道を上り詰めたところにある展望台、「茅打(カヤうち)バンタ」への道として利用されている。
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