塩屋大橋TextPhoto1Photo2

 名護から大宜味(おおぎみ)にのびた宿道(しゅくみち)は、塩屋湾にぶつかると津波集落から右折して白浜集落にはいり、そこから対岸の塩屋まで、約1キロほどの塩屋湾を舟で渡った。
 塩屋から海岸沿いに北上する西海道(さいかいどう)は、根路銘(ねろめ)から大宜味、喜如嘉(きじょか)を通り、国頭間切(くにがみまぎり)の中心であった謝名城(じゃなグスク)をすぎ、田嘉里に通じていた。山原(やんばる)をむすぶ西海道は、随所で崖が海にせまっているため、人々は潮の干満にあわせて浜づたいに歩いたり、山越えのルートをとったりせざるを得なかった。
 また、現在の塩屋小学校にあった大宜味番所から塩屋湾岸沿いにのびる道は、現在の県道80号線のルートで、屋古・田港・大保を経て東村平良へとのびていた。

 塩屋湾は奥行3キロほどで、東シナ海に面する出入口には宮城島が位置している。塩屋との間は1963(昭和38)年に塩屋大橋ができるまで、渡船がむすんでいた。現在の橋は1999(平成11)年に建設された二代目である。
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