本部(もとぶ)半島にある伊野波は、尚質王代の1666年に今帰仁(なきじん)から分離した間切(まぎり)で、翌年には本部間切と改称された。
「伊野波の石くびり」とよばれる道は、村落の東にある小高い山にあり、並里へと通じている。120〜130メートルぐらいの坂道は、かつて博多帯にたとえられたほど細く、曲がりくねっている。あたりは昼でも薄暗く、人ひとりしか通れないほど狭い道の両側には、低い草木が生い茂っている。
坂道の途中には、哀愁を帯びた「伊野波(ヌファ)節」の一節を刻んだ歌碑が建っている。
伊野波の石こびれ 無蔵つれてのぼる
にやへも石こびれ 遠さはあらな
読み人知らず
歌の意味は「伊野波の石ころ道の坂は、たいへん難儀な所であるが、愛する人をつれて上るときは、もっともっと長く続く道であってほしい」という恋歌である。「石こびれ(石くびり)」で石ころ道の坂、「にやへも」はもっと、「あらな」はあってほしいとの意で願望を表す。 |