山原(やんばる)における宿道(しゅくみち)は、現在の国道58号線と同じように、恩納(おんな)村仲泊から海岸線に沿って走っていた。
しかし、山間部が多いことから、アップダウンが激しかったり、陸地が海に突き出た部分を迂回したり、道幅が狭かったりする道が多く、通行には厳しいルートであった。
「名護の七曲がり」は地形に沿って曲がりくねった海岸沿いの道で、近年まで車酔いに悩ませられる人も少なくない悪路として知られていた。名護市許田(きょだ)から東江(あがりえ)入口まで続く8キロほどの道に、七つのカーブがあるわけではなく、名称は単に数が多いことを意味している。俗に「47曲がり」、数え方によっては「49曲がり」や「51曲がり」ともいわれたようである。
しかし、1975(昭和50)年の沖縄海洋博覧会にあわせて行われた国道58号の拡張工事で、道路はほぼ真っすぐになり、往時の「七曲がり」の面影は現在ほとんどなくなっている。
静かな内海に面した許田の村は、琉球王府時代、周辺から集めた薩摩藩への上納米を積み出す港として知られていた。近くには、手水の湧泉や「道の駅許田」、轟の滝などがある。 |