喜納番所跡TextPhoto1

 喜納番所(きなばんじょ)は、読谷山(ゆんたんざ)間切の番所(=げんざいの役場)。読谷村喜納の国道58号沿いにあり、正門跡付近に「読谷山村道路元標」と刻まれた石標が残っている。
 当初は座喜味(ざきみ)にあったものが、のちに喜納に移されたといわれるが、移動の年代は不明である。1731(尚敬19)年に編集された『琉球国旧記』に喜納番所の記載があるので、それよりは古いと考えられている。1908(明治41)年には役場に改められ、戦前まで使用されたが、戦争で焼失し、戦後、波平に役場ができると放置された。1974(昭和49)年の国道工事によって東側が分断されている。
 1853(尚泰6)年に琉球を訪れたペリー艦隊の一行は、6月3日、沖縄島調査の際に喜納番所で休息していて、「番所に相当するクンクワ(公館)は石垣囲いにして、建物は瓦葺、部屋は畳敷きであった。庭には多くの真紅の花が咲いて石造の小鉢がおかれていた。」と『日本遠征記』(1856年)に記されている。
 また、北谷間切(ちゃたんまぎり)に向けて南西の方向にのびる宿道(しゅくみち)は、広くてよく踏みしめられ、道路に影を落とす二列の松並木が海岸と平行して植えられていると記している。
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