新造佐阿天橋碑(しんぞうさあてんばしひ)は、現在の伊佐市営住宅のそばに立つ石碑。北谷間切(ちゃたんまぎり)と宜野湾間切の境にある佐阿天川に、琉球王府が石造橋を新設した記念として建立された。
かすかに読み取れる石碑には、少し北側に位置する池城橋や付近の道と合わせて、それまでの山手側の道から海岸寄りの平坦で歩きやすい道へと、西海道(さいかいどう)を移動する大幅な改修事業が、1820年に行われたと記されている。
佐阿天川が注ぐ伊佐の海岸は、美しい白砂が続く遠浅の海であると組踊「姉妹敵討(しまいてきうち)」に登場するほど古くから人々に知られ、親しまれていたが、宜野湾から北谷にかけての海岸線は、戦後、アメリカ軍による土地接収により地形が一変してしまったため、往時の西海道をしのぶ場所はまったく残っていない。
また、ここより北側にある北谷グスクの西側には、明治30年代に開通した「北谷トンネル」があったが、沖縄戦で日本軍により爆破され、戦後は現在の国道58号線が通ったことからその痕跡も残されていない。
表面の摩滅が進み、碑文の読み取りができなかった新造佐阿天橋碑は、2000(平成12)年4月、復元が完了した。 |