「金剛嶺(こんごうれい)碑」ともいう経塚の碑は、付近に住み、旅人を悩ませていた妖怪を封じるため、1524(尚真48)年ごろ紀伊国の僧侶が建立したとされる。高さ64.5センチ・幅27センチ・厚さ14センチの石碑には、「金剛嶺」の文字が刻まれている。
石碑が立つ場所は、お経を埋めた毛(森)の意味から、地元で「お経毛(ウチョウモウー)」とよばれている。
この場所は、首里から経塚を経て牧港に続く、西海道(さいかいどう)の一部である浦添街道が近くを通る、中北部と首里・那覇をむすぶ交通の要所だった。尚寧(しょうねい)王のころ(1597
年)石畳道に変わったが、起伏の多い山道で、両側にリュウキュウマツが生い茂るさびしい場所だったといわれる。
荷馬車などが通れるようになったのは、大正時代に郡道として改修されてからだが、明治・大正の道路工事や沖縄戦、戦後の造成工事などで道は大きく姿を変えている。県道153号となり、周辺に住宅が建ち並ぶ現在の姿から、かつての浦添街道の姿を想像することは難しい。
また、経塚の碑のすぐ北には小湾川上流の支流が流れていて、石造りのアーチ橋、安波茶(あはちゃ)橋がかかっている。建造年代は不明だが、1597(尚寧9)年におこなわれた浦添街道の整備の際、同時に建造されたと考えられている。 |