当山石畳道は、牧港川をはさんだ谷間に、幅約4.5メートル、長さ約200メートルにわたって続く道。首里城から浦添城を通って北上してきた道は、川を渡って宜野湾の嘉数に入り、普天間街道へと続いていた。それは国王が普天間宮に参詣した道であり、また各間切の年貢が首里城へ運ばれた道である。
いつ造られたかははっきりしないが、宜野湾間切が新設された17世紀後半ごろには整備されたと考えられて、角が円くなり表面が滑らかになっている石のようすからは、大勢の人や馬が踏みしめてきたであろう長い年月を伺い知ることができる。馬もころぶ難所だったということから、この道が地元で「馬転がし(ウマドゥゲーラシ)」などとよばれていたという話も、実際に坂道を体験してみると真実味をもって感じられる。
浦添市には経塚と沢岻(たくし)の坂道に石畳道が残っていたが、戦後に壊されたため、市内に現存する石畳道はこの当山の石畳道だけとなっている。
この石畳道に接続し、牧港川にかかる当山橋は、長さ約6メートル、幅約2.7メートルほどの石橋。大正時代に改築され、沖縄戦では米軍の砲撃を受けて一部破損したものの、ほぼ原形のまま残っている。 |