大城 弘明(おおしろ ひろあき) 作品 略歴 メッセージ 戻る

地図にない村

 「三和(みわ)村」という地名をおぼえていますか。
 沖縄戦終えんの地となった本島南部の喜屋武、真壁、摩文仁の三村は全てが灰じんと化し、住民の数は三村合わせて4000人余り、人口の激減で独自の村を形成することができず、1946年4月に合併、永遠の平和を願い「三和村」と命名されました。1961年に糸満町、三和、高嶺、兼城村が合併して糸満町になるまでの15年間、「三和村」は確かに存在したのです。
 そういう村で生まれ育った私は、多くの戦さの痕跡を生活の中にみて育ちました。ガマ、遺骨、不発弾、慰霊の塔、そして一家全滅の家…。少年の頃の記憶をたどりながら、今を生きる旅を私は今も続けているといえるでしょう。

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