伊志嶺 隆(いしみね たかし) 作品 略歴 メッセージ 戻る

島と私と写真と

 「5・15」が近づくと私の胸の中に、あるひとつの何かがフツ、フツとこみあげてくるのを抑えることができない。忘れようと思っても忘れられるものではない。つい昨日のように今でもはっきりと覚えている。
 その日の与儀公園は群衆であふれ、シュプレヒコール、笛の音、雑音を伴うデモ隊のハンドマイクの声がこだまし、各団体の旗が林立した。公園の外にはやじ馬と機動隊のジュラルミンに盾が青白く揺れていた。それらのものが幾重にも渦巻いた様はまさに炎に燃ゆる島そのものであった。その炎の上をどんよりとした雨雲がのしかかり大粒な雨が容赦なく降り続いた。その風景はまるで島の神が泣き、怒り狂っているかのようだった。(中略)あれから18年。島の風景は変わった。時の流れはあまりにも早く、そしてすさまじい。あのころどこの農家でも飼っていた豚はいなくなり、団地飼育に変わった。いまの豚小屋は使い古された冷蔵庫、洗濯機の物置に変わり、曲がりくねっていた愛きょうのあった農道は碁盤状にきれいに整備され、青々としていた山々ははげ、海岸線は無機質のコンクリートとテトラポットで固められた。原色の熱帯魚とサンゴは消え泥の溜まり場と化し、人々は開襟シャツから島の風土になじまぬスーツに変わった。リズミカルな島の言葉は去り、りゅうちょうな言葉が流れ、島の風景が画一的に見られてきた。
 一見美しくも見えるが風情がなくなったと思うのは私一人だろうか。さらに大手資本の導入が図られ、地上げが横行し、島びとには手の届かない資金が動き、島々の姿が変わる今、それに過大な期待をかけ一喜一憂している様を見ていると何か割り切れないものを感じる。そのような時「5・15とはなんだったのか」と問い、自分自身が今、果たして「生活者の写真」を撮れているのかと自問する時、複雑な思いが胸を去来する。ただはっきり言えることは「島と私と写真」の関係を常に考えながら撮り続ける以外道はないと思うだけである。

1990年5月14日付「琉球新報」

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