●方言論争(ほうげんろんそう)

 標準語教育に力がそそがれていたころ,日本民芸協会の柳宗悦(やなぎむねよし)らが,観光視察として沖縄を訪れました。
 柳らは,県学務課が進める「標準語励行運動」をみて,それがゆきすぎであると批判しました。すると,県内外に賛否両論の「方言論争」がまきおこりました。
 1940(昭和15)年,新聞・雑誌を中心にした方言論争は,ほぼ1年間つづきました。東京では,柳田国男(やなぎたくにお)や萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)ら,文化人の多くが民芸協会側の意見を支持しました。
 しかし,県内においては,新しい時代に適応するためには標準語を強制し,方言を禁止することもやむをえないとする意見の方が多かったようです。



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